西日本豪雨災害の支援活動報告⑤ ー仮設住宅への移行に向けてー

前回、調整本部の移行のご紹介をしました。災害発生から3週間から1月後くらいの時期は、医療班が徐々に地元支援者や地元の医療機関に代わり、そしてリハビリテーションや保健師、福祉の関係者が被災者を支援していました。そして、その後は徐々に避難者はみなし仮設住宅(既存の公営住宅や集合住宅などを使用するもの)への移住や、仮設住宅の入居に向けての準備が行われていきました。

これまでの災害後の支援の課題として、避難所から住宅に移住した後の支援の必要性が認識されていました。避難所では体操をして体を動かしていたり、他の人と話をしていた人も、仮設住宅に移るとこれまでの近所付き合いのない住居に住むこととなるため、活動の量が低下したまま生活を送る可能性が高くなります。活動の専門家としてリハビリテーション職は、他の専門職との情報共有を入念に行うように心がけました。

JRAT、岡山県のリハビリテーション専門職の団体としての活動は8月までは毎日活動していましたが、9月には週末のみの活動となり、10月いっぱいで活動終了となりました。

以下は、筆者(派遣者)が岡山県理学療法士会の会報ならびにJRATの活動報告書に掲載するために、調整本部の活動についてまとめたものからこの時期について記載したものです。転載いたします。

(3)JRAT調整本部業務移行後(8月14日、15日、9月1日、2日)
 備中保健所の本部は8月8日に閉鎖となり、調整本部は倉敷リハビリテーション病院内の活動本部に併合し、他の支援団体との情報共有の場は、倉敷保健所内で夕方のみ集まって会議を行うこととなりました。特別な対応が必要な場合は随時各支援団体に電話にて対応しました。
この頃から今後の仮設住宅の話や避難所の統合や閉鎖の話も増えてきました。要支援者は避難所を出る事でこれまでの誰かの見守りや支援があった環境からそうでない環境に変わっていくことが想定されました。これまでの災害の教訓から、避難所から出られたら支援は終了ではなく健康維持のためにはその後の支援も重要であるということをリハビリ職から発信することが求められました。全体の支援量が縮小していく中、要支援者への対応が適切に地域に引き継げているのか確認、行政の保健福祉関係や住宅関係の部署への連絡調整が必要でした。

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