西日本豪雨災害の支援活動報告⑥ ー活動を振り返ってー

これまで、5回に渡って、筆者(派遣者)の災害支援の活動について記載いたしました。お読みいただいた方、ありがとうございます。活動を振り返ってみたいと思います。

筆者は岡山県の3つの大きな川の一つである旭川のそばに住んでいます。今回の豪雨災害の際には幸い被害はありませんでしたが、一番雨のひどかった夜、テレビの避難情報とインターネット川の水位の情報を見て、「この川も越水の恐れがあるから避難所に避難しよう」と決めました。一晩を体育館の中で過ごし、避難所の過酷さを少しながら身をもって体感しました。夜の間、体育館に避難されている方々から、「うちは床下まで浸水した」、「畑や田んぼが水浸しだ」などと聞き、ただ事ではないと感じました。

そして、私は一晩を過ごして私は無事に帰ることができましたが、そこで目の当たりにしたニュースで目を疑いました。自分の知っている場所がこのような水害に合うなんて…。私は「リハビリテーション職として支援の要請があれば、参加したい」と考えていると、岡山県の役員さんからメールが回ってきました。幸い仕事の調整がつけていただくことができ、仕事の合間に多くの支援を行いました。

災害支援について岡山県のスタッフは初めてのスタッフが多く、私もその中の一人でした。手探りでいろんな方に支えられ、活動を行ってきましたが、課題もたくさんあったように感じます。専門職としての支援活動が終わり、今はまた日常の生活の中にいます。私は災害支援を本業をしている訳ではないので、日常の業務に戻ると、あまり考えなくなってしまいます。でも、ニュースを見たりすると、胸が痛くなり、この経験をどう活かすべきか、自問自答してしまいます。

被害に遭われた方のご冥福と、いち早い復興、そして自然災害の多い日本で、今後の災害被害が小さくなるような仕組みづくりが進むことを切に願っています。ありがとうございました。

以下は、筆者(派遣者)が岡山県理学療法士会の会報ならびにJRATの活動報告書に掲載するために、調整本部の活動についてまとめたものから最後に記載したものです。転載いたします。

4)課題ならびに改善の視点
 私達岡山県のスタッフの活動は、県外のJRATの支援が入るまでは手探りでの活動だったように感じます。訓練を受け活動経験のある方に関わっていただいたことで、情報の整理もしやすくなり、今後の見通しも考えられるようになりました。改めて平時からの準備、訓練の重要性を感じました。今回岡山県内の多くのスタッフが関わったので、それらの経験を活かし更なる体制づくりをしていく必要があるのだろうと考えます。

 最後に、今回の豪雨によりお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと当時に、一日も早い復興と、被災された方々のご安心をお祈り申し上げます。

<岡山県理学療法士会の会報より>

西日本豪雨災害の支援活動報告⑤ ー仮設住宅への移行に向けてー

前回、調整本部の移行のご紹介をしました。災害発生から3週間から1月後くらいの時期は、医療班が徐々に地元支援者や地元の医療機関に代わり、そしてリハビリテーションや保健師、福祉の関係者が被災者を支援していました。そして、その後は徐々に避難者はみなし仮設住宅(既存の公営住宅や集合住宅などを使用するもの)への移住や、仮設住宅の入居に向けての準備が行われていきました。

これまでの災害後の支援の課題として、避難所から住宅に移住した後の支援の必要性が認識されていました。避難所では体操をして体を動かしていたり、他の人と話をしていた人も、仮設住宅に移るとこれまでの近所付き合いのない住居に住むこととなるため、活動の量が低下したまま生活を送る可能性が高くなります。活動の専門家としてリハビリテーション職は、他の専門職との情報共有を入念に行うように心がけました。

JRAT、岡山県のリハビリテーション専門職の団体としての活動は8月までは毎日活動していましたが、9月には週末のみの活動となり、10月いっぱいで活動終了となりました。

以下は、筆者(派遣者)が岡山県理学療法士会の会報ならびにJRATの活動報告書に掲載するために、調整本部の活動についてまとめたものからこの時期について記載したものです。転載いたします。

(3)JRAT調整本部業務移行後(8月14日、15日、9月1日、2日)
 備中保健所の本部は8月8日に閉鎖となり、調整本部は倉敷リハビリテーション病院内の活動本部に併合し、他の支援団体との情報共有の場は、倉敷保健所内で夕方のみ集まって会議を行うこととなりました。特別な対応が必要な場合は随時各支援団体に電話にて対応しました。
この頃から今後の仮設住宅の話や避難所の統合や閉鎖の話も増えてきました。要支援者は避難所を出る事でこれまでの誰かの見守りや支援があった環境からそうでない環境に変わっていくことが想定されました。これまでの災害の教訓から、避難所から出られたら支援は終了ではなく健康維持のためにはその後の支援も重要であるということをリハビリ職から発信することが求められました。全体の支援量が縮小していく中、要支援者への対応が適切に地域に引き継げているのか確認、行政の保健福祉関係や住宅関係の部署への連絡調整が必要でした。

西日本豪雨災害の支援活動報告④ ー調整本部の移行についてー

前回、調整本部のご紹介をしました。ここでは、災害発生時に支援を行う多くの団体との連絡調整を主に行います。災害発生直後から支援団体、チームが増えてきて、発災後1週間から2週間がピークになります。当法人の職員が参加した倉敷市の災害でも同様の経過でした。

その後は災害支援チームは医療班を中心に徐々に撤退してきます。これには理由があります。被災地の早期の復興のためには、復旧した地元の医療機関で地元の医療従事者に業務をおこなっていただく必要があります。災害時の特別な状態で支援を続けていると、地元の医療従事者にとっては仕事がなくなってしまいます。住民も支援に慣れてしまうと、撤退する時のひずみが大きくなります。タイミングを計るのは難しいようですが、2週間を過ぎると実際に徐々に支援チームは撤退し、それに合わせて調整本部も業務の見直しが必要な状態になりました。リハビリテーションに関しては、避難所の支援体制が変わる時期であることと、生活不活発病が顕著になることで多くのスタッフが活動を行いました。


『大規模災害リハビリテーション  対応マニュアル』医歯薬出版,2012より引用

以下は、筆者(派遣者)が岡山県理学療法士会の会報ならびにJRATの活動報告書に掲載するために、調整本部の活動についてまとめたものからこの時期について記載したものです。転載いたします。

(2)調整本部活動中期(7月24日、25日、8月2日)
 7月24日の業務時までに、倉敷市にある備中保健所にクラドロが移転、名称が「県南西部災害保健医療活動調整本部」に変更となっていました。これまでクラドロの範囲は主に倉敷市中心でしたが、被害が総社市にもまたがっているため、双方の連携を深めるためでした。その頃には避難所の生活は安定してきて徐々に医療支援が撤退し、本部内は20名程度で雰囲気も穏やかになってきました。この段階でようやく県外のJRATの支援が入り、今後の長期的な展望などの助言をして頂きました。この頃の1日の動きは、朝、本部内での情報共有の会議に参加し、その後、JRATの調整本部の業務整理等を行いました。避難所での医療ニーズも少なくなるとともに、更に他の支援団体も撤収が進み、8月2日には備中保健所での調整本部業務は午前半日で、午後から倉敷リハビリテーション病院内の活動本部で業務を行いました。
 この時期では行政保健師や行政の避難所管理担当者との関わりが多くなりました。支援団体の減少により情報共有の頻度も徐々に減ってくるため、情報交換の漏れがないかをこちらから意識的に確認するといった行政への積極的な関わりが求められました。

西日本豪雨災害の支援活動報告③ ー調整本部についてー

災害が発生した際には、前回ご紹介したリハビリの専門家のチームであるJRAT(ジェイラット)のように様々な専門家の組織(チーム)が活動をしています。医師が中心となる医療チームである「JMAT」や保健師が中心となり感染症を予防し健康を支えるチーム「DHEAT」、管理栄養士が中心となり病気などで栄養の管理が必要な人の食の支援を行う「JDA―DAT」、社会福祉士が中心となり福祉的な配慮が必要な人の支援を行う「DWAT」など、さまざまなチームが活動を行っています。これらはほんの一部で、災害が起きた時に住民やその地域を支える仕組みはたくさんのものがあります。これらのチームが役割分担をして効果的に活動をするには、情報交換をするための調整本部が必要となります。

倉敷市の活動では倉敷保健所に倉敷地域災害保険復興連絡会議(KuraDRO・クラドロ)という名称で調整本部が設置され、この調整本部でやりとりされた情報を基に各チームの活動部隊に情報伝達され、活動が行われました(以下の写真が組織図です)。

筆者(派遣者)も今回の活動を通じてこのような災害支援の仕組みを実際に体験しました。以下、岡山県理学療法士会の会報ならびにJRATの活動報告書に掲載するために、発災初期の調整本部の活動についてまとめました。以下、転載いたします。

(1)調整本部活動初期(7月16日、18日)

 私の調整本部初日の場所は倉敷保健所内の倉敷地域災害保健復興連絡会議(KuraDRO・クラドロ)という所で、発災後間もない時期という事もあり、医療、保健など他の支援団体が常時30名以上で騒然としていました。この時点ではJRATは県内のスタッフのみの2名体制で、日替わりで担当が変わり、引き継ぎの時間もない状況で、初日は1日の流れについていくのがやっとでした。

主な業務は、他の支援団体との連絡調整、倉敷リハビリテーション病院内にある活動本部との連絡調整でした。他の支援団体から相談があればクロノロジー(当日の何時に誰から誰にどのような内容の連絡、報告、相談等があったか時系列の詳細な記録様式)に残し、指示を仰ぐべきことは他の岡山JRAT役員に相談し、返事を伝達するということを繰り返しました。この時期クラドロの方針として、「全ての避難所情報を把握し、課題の優先順位をつけて活動する」という段階で、活動本部に「早急に全避難所のアセスメントできるよう活動部隊(避難所支援チーム)の調整が必要であること」を伝えました。クラドロ内の他の支援団体も含めた1日5回の連絡会議で、活動部隊の避難所派遣状況等のJRATの活動状況を伝えました。この時期では多くの情報が行き交うため、それらの情報を正確に記録、整理して、今後何が必要かどうか優先順位を意識した活動が求められました。

(後日、続きを掲載する予定です。)

西日本豪雨災害の支援活動報告② ーJRATの概要ー

勝央福祉会から派遣された職員の派遣先は、「JRAT(ジェイラット)」という組織でした。これは「Japan disaster Rehabilitation Assistance Team」の略称で、日本語では「大規模災害リハビリテーション支援関連団体協議会」と言います。日本全体を統括する組織と、都道府県支部があり、今回、職員が参加したのは岡山県支部である「岡山JRAT」でした。主に、岡山県理学療法士会、岡山県作業療法士会、岡山県言語聴覚士会にて構成されています。

このJRATは発災後に起こり得る生活不活発病などを予防し、被災者及び被災地のリハビリテーション関連施設やネットワークなどの早期自立・再建、さらは早期復興を見座して、組織的なリハビリテーション支援を展開すうるために結成された団体です。

生活不活発病とは活動が制限されることによって、活動量が低下し、心身の機能低下が起こるものです。生活不活発病が起こることで、他の病気が発生するきっかけになることがあります。東日本大震災や熊本地震を通じて、生活不活発病の予防が重要であることが強く認識されました。例えば、避難所であまり動かずに生活している時間が長くなると、脚に血栓という小さな血の塊ができます(深部静脈血栓症といいます)。これらが血管を通じて体の他の部分に運ばれ、細い血管のフタをしてしまうことがあります。これにより脳や心臓、肺などの臓器に悪影響が起きてしまいます。

JRATは「からだを動かすことの専門家」として活動が低下を予防するように、避難所の環境を整備して活動しやすくなるようにしたり、体操の指導を行います。避難所には高齢者や障害をお持ちの方もおられるため、専門の知識が必要になることがあり、そのような際にはJRATのスタッフの専門性が活かされます。

西日本豪雨災害の支援活動報告① ー活動の概要ー

平成30年7月の西日本豪雨災害においては甚大な被害が発生しました。「晴れの国」と呼ばれ、これまで災害が少ないと考えられていた岡山県でも大きな被害がありました。特に、倉敷市の真備地区では広い範囲で浸水被害が発生しました。

勝央福祉会は岡山県理学療法士会からの依頼を受け、理学療法士1名が支援に参加し、7月から10月にかけて計12日活動をいたしました。被災地ではまだまだ以前の生活に戻れず不便な思いをされている方もいらっしゃると思いますが、岡山県理学療法士会を通じての支援活動は10月いっぱいで終了となり、その後は各自治体の中で被災者への支援は継続されると聞いています。今回の活動を得て経験したものをこのホームページの中で数回に分けて、活動報告をしていきたいと思います。これらの経験が今後の防災や災害支援に活用されれば幸いです。また、このホームページを通じて何かお気づきになったり、お感じになることがありましたら、ご意見をいただいたり、ご感想をいただければありがたいです。

改めて、今回の西日本豪雨災害により被災された方々に心よりお見舞い申し上げるとともに、被災地の復興を心よりお祈り申し上げます。

当法人からの職員派遣日:

7月 15日、16日、18日、24日、25日、30日(計6日)
8月 2日、14日、15日(計3日)
9月 1日、2日(計2日)
10月 7日(計1日)
合計12日

派遣先:岡山県倉敷市、総社市


(被害状況の説明は山陽新聞デジタルより引用 http://c.sanyonews.jp/gou_graph/)