前回、調整本部のご紹介をしました。ここでは、災害発生時に支援を行う多くの団体との連絡調整を主に行います。災害発生直後から支援団体、チームが増えてきて、発災後1週間から2週間がピークになります。当法人の職員が参加した倉敷市の災害でも同様の経過でした。
その後は災害支援チームは医療班を中心に徐々に撤退してきます。これには理由があります。被災地の早期の復興のためには、復旧した地元の医療機関で地元の医療従事者に業務をおこなっていただく必要があります。災害時の特別な状態で支援を続けていると、地元の医療従事者にとっては仕事がなくなってしまいます。住民も支援に慣れてしまうと、撤退する時のひずみが大きくなります。タイミングを計るのは難しいようですが、2週間を過ぎると実際に徐々に支援チームは撤退し、それに合わせて調整本部も業務の見直しが必要な状態になりました。リハビリテーションに関しては、避難所の支援体制が変わる時期であることと、生活不活発病が顕著になることで多くのスタッフが活動を行いました。
『大規模災害リハビリテーション 対応マニュアル』医歯薬出版,2012より引用
以下は、筆者(派遣者)が岡山県理学療法士会の会報ならびにJRATの活動報告書に掲載するために、調整本部の活動についてまとめたものからこの時期について記載したものです。転載いたします。
(2)調整本部活動中期(7月24日、25日、8月2日)
7月24日の業務時までに、倉敷市にある備中保健所にクラドロが移転、名称が「県南西部災害保健医療活動調整本部」に変更となっていました。これまでクラドロの範囲は主に倉敷市中心でしたが、被害が総社市にもまたがっているため、双方の連携を深めるためでした。その頃には避難所の生活は安定してきて徐々に医療支援が撤退し、本部内は20名程度で雰囲気も穏やかになってきました。この段階でようやく県外のJRATの支援が入り、今後の長期的な展望などの助言をして頂きました。この頃の1日の動きは、朝、本部内での情報共有の会議に参加し、その後、JRATの調整本部の業務整理等を行いました。避難所での医療ニーズも少なくなるとともに、更に他の支援団体も撤収が進み、8月2日には備中保健所での調整本部業務は午前半日で、午後から倉敷リハビリテーション病院内の活動本部で業務を行いました。
この時期では行政保健師や行政の避難所管理担当者との関わりが多くなりました。支援団体の減少により情報共有の頻度も徐々に減ってくるため、情報交換の漏れがないかをこちらから意識的に確認するといった行政への積極的な関わりが求められました。